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2025.01.03
匠の手仕事 藤中知幸vol.1「憧れと挑戦」
艶やかな佇まいに、思わず目がとまる。
駿府の工房 匠宿 木と漆 工房長の藤中知幸さんの作品は、日本古来の漆工を使いながらも、微かに西洋の気配を放っている。枠にとどまらない個性は、どこから生まれたのだろうか。
「ものづくりは、自分が持っているものしか出てきません。それは、技術と感性。技術とは、積み上げてきたもの。感性とは、綺麗なものを捉える心。この二つがかけ合わさって、個性が生まれるのだと思います」

藤中さんが、ものづくりの道へ入ろうと決意をしたのは高校生の時だった。
きっかけは、実家近くにあった県立美術館の展示だ。
「僕は、美術学校の経歴があるわけではありません。芸術との距離は遠かった。けれど、学生証を持っていけば無料で入場ができるロダン館や常設展へ通うにつれ、ものを作るっていいな。と、思うようになったんです」
元々、学校の勉強は好きではなかった。
高校卒業後の進路を考える中、職人を志すこととなる。
「両親はサラリーマン家庭。当時、急に職人になると言った僕に両親は困っていました。けれど、寛容だった。僕がやりたいことならばと、背中を押してくれたんです。工芸にはいろんな種類がありますが、漆職人になろうと思いました。小文字でうるし『urushi 』と書いて日本的なものづくりの方が、しっくりくると感じたんです」

高校卒業後の二年間は、アルバイトをして暮らした。
ツテがない自分がどうしたら職人になれるか、模索する日々だった。
卒業から二年が過ぎた20歳の時、転機が訪れる。
きっかけは、一冊の本だった。
「地元の漆職人さんが掲載されている本を読み、ご本人を訪ねてみました。けれど、その方はすでに亡くなっていた。実際には息子さんが営んでいたんです。職人になりたい旨を話したら、その方が師匠を紹介してくださいました」

以後、長い付き合いとなる鳥羽漆芸との出会いだった。
創業100年の歴史を持つ、漆工房だ。
偶然にも初めて訪ねた時、お弟子さんが一週間前に辞めたタイミングだった。
「まずは、1ヶ月に4回おいで。と、話をもらいました。時間は、金曜日の午後1時から6時まで。それが少しずつ増えて週に2回になり、朝からになった。そして、正社員となり就職をしました。親方から職人に向いているか向いていないかの話をされたことはありません。正直、自分でも向いているのかはわからなかった。少しずつ勤務日数が増えていくから不向きではないんだろう。と、感じていました」
続く